本質的な物事とは何のことで、どう向き合えばいいのか?

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もし私たちが今すぐにできることを数え上げるとしたら永遠に時間がかかるだろう。
例えば、いまデスクトップブラウザを開いて、世界中の人に記事を届けることもできるし、身の回りの物をすべて投げ捨てることもできるし、隣に住んでいる人をデートに誘うこともできるし、、

こうした無限の可能性に対処しうるのは人間のみである。
もし、機械が何かを決めて実行しなさいと指令されたら、ただ充電が切れるまですべての可能性について計算することになると言われる。
(フレーム問題ともいう)
よく言われる”AI”が統合されたシステムさえも、「ゲームのルール」なしには何も決めることはできないのだ。

こうした無限の可能性に対処するのは人間でさえも難しい。では、こうした問題に取り組みうるには、どういった考え方が必要なのだろうか?

困難は解決可能になるまで分割せよ

デカルトは方法論序説でこう説いた。

しかし、考えてもみてほしい。すべての物事は分割して解決可能なのだろうか?
たぶんそうではない。例えば、有名な「ソロモン王の裁き」という話がある。
2人の女性が赤ん坊とともに問題解決を願ってソロモン王のもとに現れ、2人とも私の子供ですという。
ソロモン王が「赤ちゃんを二つに分けなさい」というと、
一人の母は「子供はあきらめるので命は救ってください」と言った。
ソロモンはその女性を母として”指名”した。

DNA鑑定がない時代に、母を生物学的に特定することは「解決可能」ではなかった。
しかし、子供の命を最優先する人間を母として指名することは「解決可能」だった。
そこで、ソロモン王は本来は分割できない赤ちゃんを分けろと言い、困難を「母として適切なのはどちらか」という観点で分割したのだった。

“変えるべきものを変える勇気を、
そして、変えられないものと変えるべきものを区別する賢さを与えて下さい。

ラインホルド・ニーバーという20世紀の神学者は”清廉の祈り”を広めたことで知られている。何かを変えることを考える前に私たちは2つのことを考えなくてはいけない。一つは、「分割可能な問題であるか?」であり、「これはそもそも解くべき問題であるか?」だ。

私たちが変えられるのは、分割可能で対処可能な問題だけだ。
人間の心は喜怒哀楽分けがたく、ボタンを押すように切り替えられるものではない。そうした人間の心を直接的に変えることは難しいが、人間の行動を変える仕組みを作ることはできる。

何が物事を変える本質点なのか?

私たちにできることが無限にある事を考えると、私たちは本質的な物事をその中から探さなくてはいけない。しかし、どのようにそれを探すことができるのか?
その問題に取り組むために、「リバーシ(オセロ)」を考えてみる事ができる。

オセロをするとき、もっとも多くの物事が変わるポイントを探しているはずだ。
本質的な物事も似たような性質を持っている。本質的な物事は多くの物事を、少しの行動で変える。
これは、ファイナンスの世界で扱われる「レバレッジ」という、ROIを示す指標に似ている。

下のオセロみたいな図を見てみてほしい。
もし”黒”サイドにいたとしたら、どのマス目にリソースを置くのが最も効率的だろうか?
最初の原則は、対処可能で分割可能な物事を探すことだ。
第二の原則は、使うリソースを限定することだ。
第三の原則は、その中で最も能率的な点を探すことだ。

こうした質問は、現実の問題にも応用しうるだろう。